【ツーリングロード】【長野県】権兵衛街道へバイク旅!米の道を進むノスタルジーを感じるハーレー一人旅

こんにちは、_hiroyuki.taです。今回は、長野県の権兵衛街道をハーレーでツーリングしてきました。権兵衛街道とは、江戸時代に古畑権兵衛という人が開いた山道で、伊那谷の米を木曽谷に運ぶ「米の道」として知られています。現在は、国道361号や権兵衛トンネルなどが整備されていますが、旧道も一部残っており、歴史と自然を感じることができます。今回は、東京から出発して、権兵衛街道の見どころを紹介したいと思います。

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権兵衛街道とは

権兵衛街道は、宮ノ越(木曽町日義)から姥神峠(1277メートル)を越えて川入の谷を抜け、権兵衛峠(1523メートル)を越えて伊那市坂下に至る約36キロメートルの山道です。元禄9年(1696年)に開通し、以来この街道の開鑿を首唱した権兵衛の名をとって権兵衛街道と言うようになりました。伊那谷から米を木曽谷へ、木曽からは漆器や曲げ物などの木工品が伊那へ運ばれるようになり、交易の幹線として重要な役割を果たしました。また、幕末から明治時代にかけては、御嶽信仰の道としても利用されました。

権兵衛街道までの経路

今回は、東京都心部から出発して、首都高速都心環状線や中央自動車道を経由して伊那市まで走りました。約3時間半で伊那インターに到着しました。そこからは、県道476号や県道203号を使って西箕輪まで行きました。西箕輪からは、権兵衛街道に入ります。この区間は約2.7キロメートルですが、途中にはカーブや坂が多く、バイクに乗るには楽しい道です。

権兵衛街道の見どころ

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権兵衛街道に入るとすぐに、古畑権兵衛の生家があります。現在は住宅になっていますが、権兵衛から数えて7・8代目くらいにあたるという方が住んでいるそうです。ここから先は旧道が寸断されていて通れませんが、新道の神谷トンネル付近から姥神峠までは遊歩道があります。姥神峠は木曽町の日義神谷の人々は羽淵峠といい、羽淵の人は神谷峠と呼んでいます。峠からの眺望は素晴らしく、西方に御嶽山の秀麗な姿を遠望できます。峠付近には御嶽遙拝所が設けられ、関連する石碑石仏がたくさんあります。

姥神峠から木曽側に下ると、神谷の集落に至ります。ここは街道を開いた権兵衛の生まれた所で、権兵衛街道の交通の盛んな当時、ここには牛方問屋があって伊那と木曽を結ぶ交通の中継地でした。神谷から薮原へ通ずる道が権兵衛街道から分岐しています。薮原からは奈良井川に沿って萱ヶ平の集落に至ります。萱ヶ平はかつての権兵衛街道の荷馬による交易で栄えた集落で、明治になって中央本線の開通とともに人口が減少しました。萱ヶ平から峠までは2キロの遊歩道が続いていますが、現在は整備されておらず、通行できません。

権兵衛峠は信濃川水系と天竜川水系の分水嶺であり、眼下に伊那谷を望み、南アルプスの大パノラマも絶景です。ここから先は旧国道361号がありますが、冬季は閉鎖されています。峠の南側の山地には天然林が存在し、ジャンボカラマツという高さ34.5メートル、胸高周囲3.9メートル、樹齢250年のカラマツがあります。また、峠の頂上右手300メートルほどの所には伊那用水路(木曽山用水)の水枡や水路の跡が残っています。

権兵衛街道のバイク駐車場

権兵衛街道にはバイク専用の駐車場はありませんが、いくつかの場所でバイクを停めることができます。例えば、姥神峠や権兵衛峠にも広場や路肩にバイクを停めることができます 。ただし、これらの場所は公式な駐車場ではないので、他の車両や歩行者の迷惑にならないように注意してください。また、冬季は積雪や凍結などで通行困難になる可能性があるので、事前に道路状況を確認してください。

まとめ

今回は、長野県の権兵衛街道をハーレーでツーリングしてきました。権兵衛街道は、江戸時代に開かれた「米の道」であり、「御嶽信仰」の道でもありました。現在も旧道や遊歩道が残っており、歴史と自然を感じることができます。また、途中には古畑権兵街衛の生家や御嶽遙拝所などの歴史的な建造物や石碑を見ることができます。権兵衛街道は、バイクに乗る人にとってはカーブや坂が多く、走りがいのある道です。また、峠からの景色は圧巻で、御嶽山や南アルプスを眺めることができます。権兵衛街道は、長野県の魅力を満喫できるツーリングコースだと思います。

次回は別のツーリングコースを紹介したいと思います。それではまた!